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東京地方裁判所 昭和28年(ワ)9616号 判決

原告 株式会社医学通信社 外一名

被告 田宮猛雄 外四名

主文

原告らの請求を棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

原告ら訴訟代理人は、「被告らは連帯して原告らのために、朝日新聞、毎日新聞、読売新聞の各朝刊の全国版及び日本医師会雑誌、週刊医学通信、日本医事新報、医学公論、西日本医界に、連続三回にわたつて、各表題を二号活字、本文を四号活字、氏名宛名を三号活字として、次の謝罪広告をすべし。

謝罪広告

昭和二十八年二月一日発行日本医師会雑誌第二十九巻第三号に貼付した『会員各位』と題する印刷物、同年同月十五日発行右同誌第二十九巻第四号『誤報、デマを訂す』欄及び同巻第八号日本医師会第十六回代議員会報告記事並びに昭和二十八年三月二十一日開催の日本医師会第十六回代議員会において三田弘が為したる会務報告中、週刊医学通信及び塩沢香に関する部分全部事実に相違し悪意を以て貴社及び貴殿の名誉と信用を傷つけたものであつてまことに申訳ありません。

右は私共の独善的考え方から来た結果であることを確認し、ここに右記事全部を取消し謹んで謝罪の意を表する次第でございます。

年 月 日

元日本医師会々長 田宮猛雄

元日本医師会副会長 武見太郎

日本医師会常任理事 三田弘

日本医師会雑誌編集委員長 杉靖三郎

日本医師会雑誌編集兼発行人 南崎雄七

株式会社医学通信社殿

塩沢香殿

訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決を求め、請求の原因として、かつ被告らの主張に対して、次のとおり述べた。

(一)原告株式会社医学通信社(以下原告会社という)は、医学雑誌、医事衛生通信および医学医事衛生図書の刊行ならびにこれらに附帯する事業を営むことを目的とする会社であり、原告塩沢はその取締役社長である。また、被告田宮は社団法人日本医師会(以下日本医師会という)の元会長、被告武見は同会の元副会長、被告三田は同会の現常任理事、被告杉は同会の機関雑誌である日本医師会雑誌(以下日医誌という)の現編集委員長、被告南崎は同会の現事務局長で日医誌の編集発行名義人である。

(二)日本医師会は現在全国に約六万人の会員をもつ団体で、設立以来常に穏健中正の道を進み一般の信頼を受けていたが、昭和二十七年三月被告武見が副会長に就任し事実上の支配権を握つて以来は、会長田宮以下各役員も全くこれに追従し、被告武見の独善かつ偏執的性格と行動とが次第に日本医師会の運営方針を性格づけるようになつた。かくて、その機関雑誌である日医誌の編集方針も自然にこれに同調し、他からの批判や反対の見解をことごとくデマか誤報であるとして一しゆうし、同年四月から特に「誤報デマを訂す」という欄を常設し、気に入らない言論報道機関に対し一々ちよう戦するようになつた。

(三)原告らは、言論報道機関の任務は真実を報道し公正な批判を加えることであると確信し、終始これを基本方針としているので、日本医師会とその機関雑誌である日医誌とが前に述べたようにフアシヨ化するのを黙つて見ておれず、これを極めて卒直に批判するとともに日本医師会の輝やかしい伝統を説いて、当時の役員の態度に対し強く反省を求め、謙虚、親切、誠実に行動するよう勧告したところ、かえつて被告らの怒りを招き、それ以来原告会社の発行する週刊医学通信は常に眼の敵にされ、日医誌の「誤報、デマを訂す」欄でほとんど毎号読むに堪えない下劣なひぼうを加えられるようになつた。

(四)たまたま、昭和二十七年十二月二十日、東京都千代田区丸の内の読売新聞講堂で、北里柴三郎生誕百年記念会主催の下に記念学術講演会が開かれ、右記念会に招待されて米国から来訪したセルマン・ヱー・ワツクスマン教授が「微生物学における概念の変遷」という題で講演をした。原告らは、関係報道機関としてこの講演を聴き、その内容を弘布すべき性質のものであると認めたので正確を期するために、通訳をした牛場大蔵から講演の要旨のメモをもらつてこれにもとずいて記事を作り、昭和二十八年一月二十八日発行の週刊医学通信に掲載した。講演会は公開されていたし、原告らは前もつて主催者から講演内容を弘布するようにすすめられていた関係もあつたので、言論報道機関に許されている当然の権利かつ義務として講演の要旨を誌上に紹介したものであつて、この行為は何ら違法性がない。

(五)しかるに被告らは、ワツクスマン教授と被告武見との間に右講演と同主旨の論文を日医誌に掲載するという約束があらかじめされていたという、原告らの全く知らない理由にもとずき、かつ一方的な見地に立つて、原告らの右報道は詐欺行為による盗載であると決めつけ、次に述べるように原告らの名誉権を侵害する行為を重ねた。

(1)昭和二十八年二月一日発行の日医誌第二十九巻第三号の巻頭に、特別の貼紙をし、特別に注意をひく方法で別紙甲(イ)の記事をのせた。

(2)昭和二十八年二月十五日発行の日医誌第二十九巻第四号の「誤報、デマを訂す」欄に別紙甲(ロ)の記事をのせた。

(3)昭和二十八年三月二十二日に開かれた日本医師会第十六回代議員会の席上、被告ら全員の責任において作つた会務報告案にもとずき、常任理事である被告三田が、代議員および多数の傍聴人に対し会務の報告をしたが、その中に別紙甲(ハ)のような発言があつた。

(4)昭和二十八年四月十五日発行の日医誌第二十九巻第八号は右(3) の会務報告を記事としてのせた(別紙甲(二))

もともと言論および批判の自由は、公益のために必要な範囲で認められるものである。原告らは常にこの見地から被告らを批判して来たが、被告らはこれに反し、私情をさしはさみ独善的な見地からみだりに原告らをひぼうしたものであつて、以上(1) ないし(4) の事実は原告らに対する不法行為を構成する。なお、原告塩沢が原告会社の社長であることは医事関係方面では公知の事実であるから、週刊医学通信に対するひぼうは直ちに原告塩沢個人の名誉権をも侵害するのである。

(六)原告塩沢は、昭和六年七月以来日本医事衛生通信社の名の下に「週刊医事衛生」を発行し、昭和十五年七月まで四百五十号を重ねたが、企業整備のため廃刊した。その後昭和二十二年になつて原告塩沢が中心になつて原告会社を設立し「週刊医学通信」を発行するようになつた。原告らが終始一貫医学の進歩と公正な医療制度の確立とのために常に厳正公平な態度を堅持したことは、多くの人の認めるところであつて、週刊医学通信の読者の数も次第にふえ、昭和二十七年には発行部数毎週六千部に達し、医療関係の各業界から多数の広告掲載の申込みがあり、営業状態は極めて順調であつた。ところが被告らから度々悪意あるひぼうを繰返されたため、原告らの信用は損われ、名誉と財産上の損害は放置できない状態となつた。しかも被告らはなおその非を改めず、原告らに対するひぼうを重ねるおそれがあるので、その誤りを正し、原告らの名誉を回復するため本訴に及んだわけである。

被告らの主張する事実のうち、原告らが別紙乙(イ)ないし(マ)の各記事を週刊医学通信にのせたことは認めるが、「誤報、デマを訂す」欄を創設した趣旨がもともと共産党を対象としたものであること、ワツクスマン教授の講演の際、牛場大蔵が、予め同教授から受領した講演の原稿を翻訳したものにもとずいて通訳したこと、右講演が行われる前に記念会セクレタリーの阿部勝馬、右牛場、被告武見らが協議し、牛場が翻訳した全文を日本医師会の機関誌である日医誌に全文発表することについてワツクスマン教授の承諾をえたことはいずれも知らない。原告塩沢が、要旨抄録だけを週刊医学通信にのせるのであるといつわつて、牛場からワツクスマン教授の講演原稿の翻訳全文を取つたことは否認する。右訳文の著作権は牛場にあるから同人から雑誌に掲載することを許されてその原稿を交付された原告らが、これを週刊医学通信に記事としてのせることは少しも違法ではない。たとい、この記事が訳文の全文であつたとしても、要旨の掲載を許されている以上、全文の掲載も当然許されているわけである。医政関係の記事が常任理事会の議決に従うものであつて、編集者に決定権がないとの主張は争う。

被告らの抗弁はすべて失当である。

以上のとおり述べ、証拠として、甲第一号証の一、二、同第二ないし第十号証、同第十二、十三号証の各一、二を提出し、証人牛場大蔵、阿部勝馬、高野六郎の各証言および原告会社代表者原告塩沢本人尋問の結果を援用し、「乙第八号証が真正にできたかどうかは知らない。その余の乙号各証が真正にできたことは認める。」と述べた。

被告ら訴訟代理人は、「原告らの請求を棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする。」との判決を求め、次のとおり答弁した。

原告ら主張の請求原因事実第一項のうち、被告らが、日本医師会および日医誌と原告ら主張のような関係にあること、第二項のうち、日本医師会が現在全国に約六万人の会員をもつ団体であつて、設立以来常に穏健中正の道を進み一般の信頼を受けていたこと、昭和二十七年三月被告武見が日本医師会の副会長に就任したこと、日本医師会の機関誌である日医誌が、昭和二十七年四月から「誤報、デマを訂す」欄を設けたこと、第四項のうち、昭和二十七年十二月二十日読売新聞講堂で北里柴三郎生誕百年記念会主催の下に記念学術講演会が開かれ、この記念会に招待されて米国から来訪したワツクスマン教授が「微生物学における概念の変遷」という題で講演をしたこと、原告らが牛場からワツクスマン教授の講演の資料を手に入れて昭和二十八年一月二十八日発行の週刊医学通信にこの講演内容を記事として掲載したこと、第五項のうち、原告ら主張の頃日医誌が別紙甲(イ)、(ロ)および(ニ)のとおりの記事を掲載したこと、被告三田が日本医師会の第十六回代議員会で別紙甲(ハ)のとおり会務報告をしたこと、以上の事実はいずれもこれを認めるが、第一項のうち、原告会社が医学医雑誌および医学医事衛生図書の刊行ならびにこれらに附帯する事業を目的とする会社であること、原告塩沢が原告会社の取締役社長であること、第四項のうち、原告らがワツクスマン教授の講演を聴きその内容が弘布すべき性質のも各であると認めたこと、第六項のうち、原告塩沢が昭和六年七月以来日本医事衛生通信社の名のもとに「週刊医事衛生」を発行し、昭和十五年七月まで四百五十号を重ねたときに企業整備のため廃刊したこと、昭和二十二年に原告会社が設立されたこと、医療関係の各業界から週刊医学通信に対し多数の広告掲載の申込みがあつて原告会社の営業状態が極めて順調であつたことは、いずれも知らない。その余の事実はすべて否認する。

本件の紛争が生ずるに至つた経過は次のとおりである。

日本医師会は、医道の昂揚、医学医術の発達普及と公衆衛生の向上とを図り、もつて社会福祉を増進することを目的とし、昭和二十五年に、全国を区域とし、都道府県医師会の会員をもつて設立された社団法人であつてその性格および業績に照らし極めて公共性、公益性の強い医師の団体である。その機関誌である日医誌は、毎月二回発行全会員に配布され、学術雑誌であるとともに、日本医師会および会員の利益を守るため会の方針や意図に反対する意見や活動に対しては、これを公正に批判する使命を持つている。したがつて、掲載記事には学術に関するものと医政に関するものとがあつて、医政に関する記事は、日本医師会常任理事会の議決を経た上で掲載される。ところが近頃になつて、医界における他の報道や雑誌のうちに、日本医師会の方針や意図に関し悪質の誤報やデマを飛ばし、会の目的事業の遂行を妨げ、会や会員の名誉を毀損するものが現われた。そこで日本医師会は、週一回の記者会見の日を決め、会の理事者が雑誌記者と懇談して意思の疎通を図つたが、依然として誤報やデマは跡を絶たず、原告会社の発行する週刊医学通信は特にこれが甚しく(別紙乙(イ)ないし(ト)のとおり)、その内容はいずれも事実をことさらに曲げたものや悪口雑言のたぐいであつた。この傾向は、これを放任すれば会および会員の利益を守ることが危ぶまれる程度にまでなつたので、被告田宮、同武見その他の理事者一同協議の上、誤報、デマを解説し会員の誤解を防ぐ目的をもつて常任理事会の議決を経たのち、昭和二十七年八月一日発行の日医誌第二十八巻第三号から「誤報、デマを訂す」という欄を創設した。もともと前述のような風潮は共産党の影響に由来するところが大きかつたので、本欄創設の主目的は実は共産党にあつたのである。週刊医学通信の誤報やデマはその後も一向に改まらなかつたことは別紙乙(チ)ないし(レ)のとおりであるが、そこに、ワツクスマン教授の記念講演の内容を原告らが不正な方法で入手し週刊医学通信に掲載するという事件が発生した。もともと、同教授の招へいは、被告武見が、記念会のセクレタリーであつた阿部勝馬と協議して決定実現したものであつて牛場は単なる講演の通訳者であつて翻訳者ではなく、講演の著作権は英文和文ともにワツクスマン教授が持つている。そして日本医師会は、講演に先立つてワツクスマン教授から、講演原稿の通訳全文を日医誌に掲載発行する権利を独占的に与えられたのである。したがつて、ワツクスマン教授または日本医師会の承諾なくしては、何人といえども右訳文の全部を新聞雑誌に掲載することは許されない筋合であるのに、原告塩沢はこの事実を知りながら、要旨をのせるだけであるといつわつて牛場から通訳文の下書を受取り、昭和二十八年一月二十八日発行の週刊医学通信第三二八号に「微生物学における概念の変遷、SAワツクスマン教授(述)」と題して日医誌がのせるより前に全文を掲載発行してしまつた。これはまさに盗載であり、原告らは、その行為によつて、国際信義に背き、ワツクスマン教授の記念講演の全訳文を日医誌に独占的に掲載するという日本医師会の権利を侵害してこれに有形無形の損害を与え、かつ、会員の会に対する不信と理事者の失態に対する攻撃とを招いたものである。当時日医誌はすでに訳文を巻頭にかかげて印刷製本を済ませ発送間際でもあつたので、これを廃棄するかどうか、また、原告らを独占権侵害の理由で訴追するかどうかについて、理事会と編集委員会とで緊急対策を協議した末、右講演内容を会員に周知させる必要と、刊行のために払われた努力とに鑑み、結局編集委員会の意見にしたがつて、これを刊行することに決し、ただ、理事者と編集者とがそれぞれ立場で発行遅延の理由を説明した綴込を、巻頭に掲載することにした。これが別紙甲の(イ)である。また、別紙甲の(ロ)は、原告らが、右のワツクスマン教授講演訳文に対する日本医師会の独占掲載権を侵害したこと、医薬品の審査検定について米国医師会の厚意に関し事実をまげた報道をしたこと、および藤沢薬品製の一薬剤に関し根拠のない記事をのせたことに対し、今後このような不正を無くすため、週刊医学通信関係者が日本医師会に立入ることを禁止し、このことを会員にしらせるとともに、誤報に対する注意を喚起したもの、別紙甲の(ハ)は、庶務担当の常任理事である被告三田が、慣例に従い、会長に代つて、あらかじめ理事会の議決を経て代議員に印刷配布してある会務報告書にもとずき、会の機関誌である日医誌に関する事項として朗読的に報告したもの、さらに別紙甲の(ニ)に、右代議員会における被告三田の会務報告の内容を会に出席しない大多数の会員に報告するために、慣例的に日医誌に掲載したものである。そしてこれに対する原告らの態度は、別紙乙の(ソ)ないし(マ)に見られるとおり従前とかわらぬものであつた。

以上の次第であるから、原告らの主張は次に述べるいずれかの理由によつてすべて失当である。

(1)まず、日本医師会の機構上、被告杉、同南崎は、原告らが指摘する日医誌中の医政記事の掲載や代議員会における理事の報告には関係がない。

(2)これらの記事や発言は、法人たる日本医師会の発行する機関雑誌の記事またはその代議員会における常任理事の会務報告であるから、たといその中に不法行為にあたる事実があつたとしても、これにもとずく訴は日本医師会自身に対して起すべきものである。したがつて、個人たる被告らは訴を受ける適格がないわけである。同じように、週刊医学通信は原告会社が発行するものであるから、これに関する権利義務はすべて原告会社に帰する。したがつて原告らの指摘する記事や発言がすべて週刊医学通信を対象とするものである以上、原告塩沢個人には訴権がない。

(3)原告らは、原告会社発行の週刊医学通信に、日本医師会および被告田宮、同武見、同三田らに対し、事実をまげて、同人らをひぼうするような記事をしばしば掲載し、その結果、日本医師会の会務の運営を妨げ、目的遂行を誤らせ、会員の誤解を招くような事態をひきおこし、かつ、日本医師会および被告らの名誉信用を毀損したから、被告らはこの侵害を防止し真相を解明したまでのことである。したがつて、原告らの指摘する記事または発言が、たとい原告らの名誉を毀損したとしても、それはいずれも違法性がないか、または少くとも正当防衛行為であつて、違法性が阻却される。

(4)原告らの指摘する日本医師会および被告らの原告らに対する行為は、日本医師会の前示性格に鑑み公共の利害に関する事実について、専ら公益を図るために出たものであり、かつ真実なることが証明されたものである。

かりに以上の主張が認められず、被告らが不法行為にもとずくなんらかの責任を負うものとしても、原告らの本訴請求は、次に述べるいずれかの理由によつて許されない。

(1)原告らが被告らに加えた不法行為を考えると、原告らの請求は公正妥当な範囲を超えるものであるから、権利の濫用である。

(2)原告らは、自ら日本医師会および被告ら個人に対し違法不当の行為を敢てしながら、これを防止排撃する挙に出た被告らに対し、その侵害の結果について謝罪を求めるものであつて、そのようなことは正義に反する。

(3)被告らは、いずれも、原告ら指摘の行為は、原告らの不正な侵害に対して日本医師会および会員の団結権を防衛する正当防衛行為であると確信するものであるが、本訴請求の趣旨は、そのような被告らに対し、信条に反する意思の表明を強制的に公表させようとするものである。したがつて、それは憲法第十九条に違反する。

結局本訴請求はすべて理由がなく棄却せらるべきである。

以上のとおり述べ、証拠として、乙第一ないし第五号証、同第六号証の一、二、同第七ないし第九号証を提出し、証人阿部勝馬、同牛場大蔵、同佐々木圭司、同大槻菊雄の各証言および被告田宮猛雄、同武見太郎、同三田弘、同杉靖三郎、同南崎雄七の各本人尋問の結果を援用し、「甲第十号証が真正にできたかどうかは知らない。その余の甲号各証が真正にできたことは認める。」と述べた。

理由

(一)、まず、原告塩沢、被告杉および同南崎の当事者適格の点について考えるに、原告らの主張するところによると、原告塩沢は、別紙甲に掲げた(イ)、(ロ)および(ニ)の日医誌の記事によつて名誉権を侵害されたとし、これらの記事掲載、発行および販布には編集委員長である被告杉と編集発行人である被告南崎とが関与したというのであるから、それが事実であるかどうかは第二段の問題であつて、右の者はそれぞれ原告となり被告となる適格があるものと考えなければならない。

(二)、そこで、はたして被告らに、原告らの名誉権を侵害する行為があつたかどうかについて考える。

日医誌が日本医師会の刊行する機関雑誌であること、被告田宮が日本医師会の元会長、被告武見が同会の元副会長、被告三田が同会の現常任理事、被告杉が日医誌の編集委員長、被告南崎が同誌の編集発行人であること、および日医誌が別紙甲(イ)、(ロ)および(ニ)の記事を掲載し、被告三田が別紙甲(ハ)の発言をしたことは、いずれも当事者間に争いがなく、右記事および発言のされた頃被告らはいずれも日本医師会または日医誌につき前に述べたような職務担当の関係にあつたことは、被告らが明らかに争わないからこれを自白したものとみなす。

さて、原告らが名誉権を傷つけられたとして指摘する記事または発言をみると、「犯罪的不徳行為」とか、「片々たる小雑誌の不徳行為」とか、「悪徳行為」とか、「背信的報道」とか、「盗載」等の言葉が使われている。それらは、道徳的、社会的に恥ずべきものとして人を糾弾し、或は軽視する言葉であるから、その背景にどのような事実があるにせよ、軽々しく口にすべきものではない。これらの言葉は、ワツクスマン教授が昭和二十七年十二月二十日北里柴三郎生誕百年記念会主催の下に読売新聞講堂で行つた「微生物学における概念の変遷」という題の講演に関する記事が昭和二十八年一月二十八日発行の週刊医学通信に掲載されたことに起因して使われたものであることは、当事者間に争いがなく、原告塩沢本人尋問の結果によると、右雑誌は、原告塩沢が代表取締役であつて、医学医事に関する雑誌や図書の刊行が目的事業である原告会社の発行にかかるものであることを、認めることができる。そして、被告南崎本人尋問の結果によると、別紙甲(イ)、(ロ)および(ニ)の記事が日医誌に掲載された頃は、同誌は毎回約五万部の発行部数があつたことを、被告三田の本人尋問の結果によると、別紙甲(ハ)の被告三田の発言は日本医師会の第十六回代議員会の席上報告としてなされたものであることをそれぞれ認めることができるから、別紙甲の(イ)ないし(二)の日医誌の記事または被告三田の発言は、少くとも相当範囲の不特定多数の人の耳目に触れたであろうことが推認され、したがつて、原告会社および原告塩沢の名誉権は、少くともその範囲で傷つけられたものと考えるのが相当である。

つぎに、右名誉権の侵害が、被告らの行為に因るものであるかどうかについて判断する。

乙第一号証(真正にできたことについて争いがない)によると、日本医師会の会長は、日本医師会を代表し、会務を総理し、理事の資格も合せもつこと、同副会長は会長を補佐し、会長に事故あるときこれを代理し、会長がないときは会長の職務を行い、理事の資格も合せもつこと同理事は会務を処理し、一定の場合会長、副会長を代理し、またその職務を代行すること、同会の会務の運営その他重要な事項については理事会の決議を経なければならないことがそれぞれ日本医師会の定款の定めであること、また、被告三田本人尋問の結果によると、理事の中から選ばれた七名の常任理事をもつて構成する常任理事会は、理事会の処理すべき事項のうち比較的重要でないものを理事会の委任により処理することになつていることを認めることができる。

そして、甲第一号証の一、二、同第二ないし第五号証(いずれも真正にできたこと争いない)と、被告ら五名各本人尋問の結果とを考え合せると、日医誌の記事は、これを専ら医学に関するものと、それ以外のもの(被告らの表現を借りて以下医政に関する記事という)とに大別することができ、前者は、日本医師会会長の委嘱を受けた編集委員をもつて構成する編集委員会が、日本医師会理事会(多くの場合は七名の常任理事で構成する常任理事会)の承認を経て掲載するか否かを決定するが、後者は理事会(多くの場合常任理事会)がこの点を決定し、編集委員会や編集発行人はこれを変更したり掲載を中止したりする権限をもたないこと、医学医政両面に関係がある記事については、編集委員会も医学に関する点については理事会に対し意見を述べることが認められていること、別紙甲の(イ)、(ロ)および(二)の各記事は被告らのいう医政に関するものであること、被告田宮は会長兼理事として、被告武見は副会長兼理事として、被告三田は常任理事として、ともに右各記事の掲載について討議し決定に参劃したこと、被告杉は編集委員長として、右各記事の掲載された日医誌につき、掲載の事実を承知のうえで、編集、印刷、販布の事務を処理したこと、とくに別紙甲(イ)の記事のうちの一部(昭和二十八年二月一日発行日本医師会雑誌第二十九巻第三号巻頭の貼紙((甲第一号証の一))のうち、裏面の第一行から第十五行までの編集委員会の意見という部分)は同被告が委員長として編集委員会の意見をまとめたものであること、被告南崎は、別紙甲の(イ)、(ロ)および(ニ)の各記事の掲載された日医誌にいずれも編集発行人として名を列ね、掲載発行は当然のものであると考えていたことをそれぞれ認めることができるし、被告三田が、昭和二十八年三月二十二日日本医師会館で開催された第十六回定例代議員会において、庶務担当の常任理事として会務報告をする際に、別紙甲(ハ)の発言をしたことは当事者間に争いがなく、右会務報告は理事会の議決を経ていることは被告らの自認するところである。

してみると、被告ら五名は、関与の仕方、関与の程度に差異こそあるけれども、いずれも、右にのべたかぎりにおいて、原告らの名誉権を侵害する行為をしたものと考えざるを得ない。

(三)、そこで、被告らの右侵害行為がはたして違法性をおびるものであるかどうかにつれて判断する。

週刊医学通信誌上に別紙乙(イ)ないし(マ)の各記事が掲載されたことは当事者間に争いがなく、この事実に乙第一号証、甲第一号証の一、二、同第二ないし第五号証、いずれも真正にできたことについて当事者間に争いがない乙第二、三号証、同第七号証の各記載、証人牛場大蔵、同佐々木圭司、同阿部勝馬、同高野六郎、同大槻菊雄の各証言、原告塩沢および被告五名各本人尋問の結果を考え合せると、次の事実が認められる。

日本医師会は、医道の昂揚、医学医術の発達普及ならびに公衆衛生の向上を図り、もつて社会福祉を増進することを目的とし、昭和二十五年に、全国を区域として、都道府県医師会の会員をもつて設立された社団法人であつて、総会、代議員会および理事会によつて運営されているが、そのほか、医学に関する科学や技術の研究をし、これに関する事業を行う日本医学会や、会員の身分や業務について審議したり会員や各医師会の間の紛議を調停したりする裁定委員会等の内部組織を備えている。外部に対する関係からみると、社会保険や公衆衛生上重要な医療ならびに保健指導について団体契約を結んだり、主務大臣に対し、医療や保健指導の改良発達に関する建議を行つたりする権限を与えられており、また、世界医師会に加盟して、医学の国際的発展と文化の交流とに奉仕している。そして現在では国内の医師の約九割がその会員である。日医誌は日本医師会の機関雑誌として毎月二回刊行され、その編集の方針は、会員である医師が学問の進歩に遅れないようにとの考慮からつねに新しい医学に関する記事を載せ、主務官庁である厚生省との折衝の経過や医薬に関係がある法律問題や経済問題については逐次これを報告するとともに、あわせて会の方針を会員に周知徹底させ、もつて会の運営を円滑ならしめるにある。このように、日本医師会の業務は社会公共の利害に関するところが大きかつたから、日本医師会およびその幹部の人人は、とかく社会的批判の対象とされがちであつた。たまたま昭和二十七年初頭には、社会保障制度の拡充ということが国の重要な政策の一つとしてとり上げられた。これを実現するについては何よりもまず医師の協力を得なければならなかつたが、多くの医師の中には、保守、急進さまざまの意見を持つ者があつたので、当時右政策の実現に協力することを会の方針としていた日本医師会としては、会員の意見の統合ということが極めて重要な問題となつた。ところで、週刊医学通信は、その「週間言」欄、「編集余滴」欄等で、別紙乙(イ)ないし(ヘ)のとおり、従来いくたびか日本医師会や幹部の動向について批判を加えていたがややもすれば筆にまかせて被告田宮、同武見個人を攻撃し、その表現必ずしもおだやかでないものがあつた(週刊医学通信が右各記事をのせたことは当事者間に争いがない)。そして昭和二十七年三月五日発行第二八八号一頁の週間言の欄に別紙乙(ト)のような記事を掲げ、被告田宮が、ほしいままに結核病学会を除名する旨放言したとして論難するにおよび(この記事掲載の点は当事者間に争いがない)、当時日本医師会の要路にあつた被告田宮、同武見、同三田らを含む人人は、たびかさなるこのような行為は日本医師会内部の団結を危くするものであると考え、かつは前示のような社会情勢に鑑み、報道の誤を正し、思想的な背景をもつ宣伝を排撃する必要を痛感するにいたり、論議の結果、昭和二十七年四月一日発行の日医誌第二十七巻第十号から、「誤報、デマを正(後に訂の字を用いた)す」という欄を設け、誤報またはデマと考えられる報道を訂正し、会員に正しい報道をしようと試みるようになつた。これに対し、週刊医学通信の側でも、すぐさま応しゆうしたので、いきおい両誌間の論戦は、それぞれの背後にある原告塩沢と被告田宮、同武見らとの感情的対立を反映して、号を重ねる度に尖鋭化していつた。この間週刊医学通信に掲載された記事には別紙乙(チ)ないし(レ)のようなものがあつた(このことは当事者間に争いがない)。このような情勢にあつた時に、昭和二十七年十二月二十日読売新聞講堂において北里柴三郎生誕百年記念学術講演会が開催され、アメリカから招かれたワツクスマン教授が、「微生物学における概念の変遷」という題で記念講演を行い、牛場大蔵がこれを通訳した(ワツクスマン教授が記念講演をしたこと、これを牛場が通訳したことは、当事者間に争いがない)。もともとこの記念講演会は、北里柴三郎博士の高弟であつた北里研究所の高野六郎、当時の慶応義塾大学の医学部長阿部勝馬らが先導となつて計画し、北里博士との縁故の深かつた医薬関係、報道関係の人人の協賛の下に推進され、北里研究所と慶応義塾大学とが主催者となり、読売新聞社の後援をえて開催されたものであるが、北里博士の生前同博士の愛顧を受けていた原告塩沢は、発起人の一員に名を列ね、阿部勝馬から応分の協力方を依頼されていたし、また、被告武見は、阿部と相談してワツクスマン教授を招いて講演を依頼するという計画を立案した当人であつた。日本医師会としては、主催者にも、後援者にもなつていなかつたが、被告田宮、同武見、同南崎らは個人の資格で発起人の一員となつていたし、後に八芳園で行われた晩さん会は日本医師会の主催するところであつた。被告武見は、前に述べたとおり、ワツクスマン教授を招くことを提唱した当人でもあつたので、かねて同教授の講演内容をまず日医誌に掲載したいものと考え、あらかじめ阿部やワツクスマン教授の秘書を勤める予定であつた加藤らにその旨申入れてあつたが、ワツクスマン教授来朝の当日、同教授の快諾をえた。記念講演の際には阿部から依頼されて牛場大蔵が、前もつてワツクスマン教授から受取つていた英文の原稿をもととして通訳をしたが、右牛場は原稿をどのように処理するかについては特にワツクスマン教授から指示を受けていなかつた。後に八芳園で開かれた日本医師会のワツクスマン教授招待晩さん会の席で、牛場は、被告武見から、右教授の記念講演の内容を日医誌に掲載する旨を聞かされ、訳文を浄書して送ることを約束した。このようないきさつで、日本医師会はワツクスマン教授からその講演内容を日医誌に掲載することの許しをえ、通訳者である牛場もこの事実を承知していた。ところが、原告塩沢は、昭和二十八年一月十日頃牛場を訪れた際に、記念講演の内容はすでに日医誌に掲載されることになつていて、牛場は日本医師会の方に講演原稿の訳文を送付ずみである事実を聞かされたにもかかわらず、週刊医学通信には要旨を載せるからといつて訳文の草稿を貰いうけて帰り、さつそく昭和二十八年一月二十八日発行の週刊医学通信第八巻第三二八号の巻頭に、「講演要旨」と註記しながら事実は右訳文の全部を掲載してこれを発行してしまつた。日本医師会側がこの事実を知つたのは、記念講演の原稿の全訳文を掲載した日医誌(甲第一号証の一、二はその一部)がすでに印刷、製本を終え発送する間際のことであつた。日本医師会としては、他の雑誌に先を越されることなど夢にも考えていなかつたこととて、これをそのまま発行するかどうかについて関係者の間で大きく意見がわかれたが、とりあえずこのような事態に立ちいたつた原因をつきとめようということで調査をすすめた結果、阿部がもたらした牛場の書翰(甲第一号証の一の表面にその内容掲載)により事の次第を知つた。そこで理事会側と編集委員側とで、それぞれ再三会議を重ねてとるべき措置について検討した末、「講演内容を会員に広く知らせたいという点と、ワツクスマン教授との掲載の約束を果さねばならぬ点とを重視し、かつ、すでに払われた編集上の労力等を考えて、ともかく発行すべきである」とする編集委員会の意見が、「一旦他に発表された以上、もはや記事としての価値は低下したから発行を中止すべきである」とする理事会側の意見に勝つて、発行遅延の理由を明らかにしたうえでともかくも発行しよう、ということになつた。その結果、別紙甲の(イ)の記事をのせた甲第一号証の一のような巻頭貼紙をつけた昭和二十八年二月一日附日医誌第二十九巻第三号が発行販布された。なお、日医誌では、会員に知らせることが特に重要であると思われる事項は、巻頭に貼紙の形で掲載するということを、右の場合にかぎらず従来から行つていた。そして、このような予期しなかつた出来事に鑑み、被告田宮、同武見、同三田ら日本医師会の役員は、将来このような失敗を避けるには、週刊医学通信関係者との交渉を断つことが抜本的な対策であると考えるにいたり、このことを理事会の議を経て決定し、この方針を会員に周知させ徹底を期する目的で、別紙甲の(ロ)および(ニ)のような記事を日医誌に掲げた。そしてまた、同じ目的で、それから間もない時期に開かれた第十六回(定例)代議員会で、常任理事である被告三田が、別紙甲(ハ)の発言を含む会務報告を行つた。これらに対する週刊医学通信の反駁抗争は別紙乙(ネ)ないし(マ)の記事のとおりである(記事掲載の点は、当事者間に争がない)。ワツクスマン教授の講演の内容は、一方において北里博士の学績を賞揚し、他方において最近における結核病学の進歩を明らかにし、この面における同教授の業績を披露するとともにその将来についての見解を述べたものであつて、とくに実験研究の結果を新たに発表するという性質のものではなかつたが、そのようなことはともかくとして、被告らにとつては、ストレプトマイシンの発見者としてその年ノーベル医学賞を受賞した人の講演であるということや、これを日医誌に掲載することについて、特に右教授の承諾を得ているということ、それにもかかわらず他の雑誌に先に掲載されてしまい、しかもその原稿の入手方法が甚だ不明朗であること、このことはワツクスマン教授に対する信義にもとるものであつて、国際信誼の問題であること等の考えが強くその思惟行動を支配したのであつた。なお、ワツクマン教授の講演内容は一般に原著と呼ばれるたぐいのものであるが、原著は、一度ある誌上に発表されると、特段の事情がない限り他誌では重ねてこれを掲載するようなことはしない慣行があつて、それが言論出版界の信義であると考えられている。

このような事実が認められる。さきにかかげた各証拠のうち右認定に反する部分は信用することができない。他にも右認定を左右するような信用すべき証拠はない。

以上の一連の事実からすでに明らかなように、事の起りは、むしろ、原告塩沢が主宰する原告会社発行の週刊医学通信が、日本医師会ないし被告田宮、同武見らの動向に対し、これを中傷し、やゆするような筆調の記事を掲げた点にあつた。しかも原告らはかようなことをしつこく繰返した。かくて、自然のいきおいとして、右被告らの勢力の下にあつた日本医師会の機関雑誌たる日医誌も、それに誘発されて反駁応しゆうするようになつた。そして両者の論戦反目が頂点に達したところで、被告らが日医誌に独占掲載権ありと固く信じて疑わず事実直接ワツクスマン教授から掲載を許されていた同教授の記念講演の内容を、原告塩沢が不明朗な手段を弄して週刊医学通信に先廻りして掲載し、反目の間栖にあつた被告らを出し抜き、その感情を痛く刺激したのである。原告らの指摘する被告らの名誉毀損行為というのは、原告塩沢の不信行為にいきどおりその対策にあわてた被告らが、我慢できなくなつてその挙に出た防衛ないし反撃の行為である。

さきにも述べたとおり、被告らのやつたこと、すなわち、「犯罪的不徳行為」とか「片々たる小雑誌の不徳行為」とか「悪徳行為」とか「背信的報道」とか「盗載」とかいう言葉を使つたことは、そのことだけをきりはなして論議すればよくないことであり、人の名誉を毀損するに足る行為であることにちがいない。しかし、被告らがそのような挙に出たのは、原告らのやつた不徳不信の行為に誘発されたものであり、いわば売られた喧嘩にやむをえず応戦したようなものであること、原告らには何といつても「不徳行為」「悪徳行為」があり、原告塩沢が週刊医学通信にワツクスマン教授の講演の内容を載せたことは通俗的な言葉でいえば「背信的報道」「盗載」といえないわけでなく、また週刊医学通信は日本医師会雑誌に比較すればとにかく「小雑誌」であるに相違ないこと、とくに日本医師会の使命が公共的公益的なものであり、同会としては、原告らのやつたことをほおつておくわけにいかない事情にあつたことなどの諸事情に照して考えると、被告らのやつたことは正当防衛行為といえないにしても、なお違法性を欠く行為であるとみるのが相当である。

被告らのやつたことについては不法行為が成立しないのである。

原告らの請求は、ほかの点について判断するまでもなく、失当として棄却すべきである。

よつて、民事訴訟法第八十九条第九十三条本文を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 新村義広 石橋三二 吉田武夫)

別紙(甲)

(イ) 昭和二十八年二月一日発行日本医師会雑誌第二十九巻第三号巻頭貼紙中の記載。

『会員各位-本号発行遅延の理由について-「微生物学に於ける概念の変遷」掲載に関連して』と題し、昭和二十八年一月二十八日発行の週刊医学通信誌上にワツクスマン教授の講演の要旨を掲載したことに対して、『これは日本医師会の権利を侵害する犯罪的不徳行為である。よつて編集委員会はこれに対して、次の如き処置をとることを決議した。

決議

本文全文をそのまゝ日本医師会雑誌に掲載して発行すべきである。

その理由として

一、ワ博士の好意を裏切らないという徳義上の問題から。

一、かかる有益貴重なる論文は広く会員に知らしめる必要上。

一、片々たる小雑誌の不徳行為は我々の権威を毫も傷つけるものでないこと。

一、不徳行為を徹底的に糾弾するための証拠を明確にしておくため。』

と記載し、また同記事中で週刊医学通信を『発行部数一千以下』の片々たる小雑誌であると述べ、さらに日本医師会会員に対し、『かかる悪徳行為は日本医学の国際信誼を蹂りんし、学界の信頼を低めるものとして、今後全会員は同誌に対し認識を改むべき』ことを勧告した。

(ロ) 昭和二十八年二月二十五日右同誌第二十九巻第四号「誤報、デマを訂す」欄の記事

『医学通信が要旨の標題の下に実は全文を載せたことは法律上は勿論、医界誌として徳義上之を恕すことは絶対に不可能なことであり、日本の学界の道義的基準を下落せしめた事実は許すべからざるものであります。再三に亘る同誌の背信的報道を是正して来た日医は緊急理事会の決定により今後同誌関係者の立入を禁止し』(中略)たので、『今後同誌の医界情報は何等日医と無関係であることを御承知願いたいのであります。』(中略)『斯かる悪質報道は今後断乎として粛正されねばならないと信ずるものであり、会員各位もこの種報道に対しては充分御注意願いたいと存じます。』

(ハ) 昭和二十八年三月二十二日開催の日本医師会第十六回代議員会における被告三田の会務報告中の発言

『その他本会は然るべき医事新聞雑誌社については毎週一回の発表日を定めて正確且つ迅速な発表の機会を作つておりますが、他方これらのうちには其使命を忘れ、悪意あるデマを飛ばし、又は無責任な誤報を掲載して医師会活動を阻害するものがあるので、之等の者に対しては断乎なたる出入禁止の処置をとつております。

例えば、御承知のように、本年二月一日号日医雑誌に独占掲載を許されたものであるにもかかわらず、これを無断で盗載した「医学通信」誌の如きは全く道義を忘却したものであつて之等の記者は常に医師会の撹乱を企てゝおります。会員はよく報道の真偽を明察されて彼等の活動を排除していたゞきたいと思います。』

(ニ) 昭和二十八年四月十五日発行前同誌第二十九巻第八号中の右(ハ)と同旨の記事。

別紙(乙、医学通信中の記事)

イ、昭和二十六年二月十四日発行第二三九号一八頁編集余滴欄

「渉外費などももとより詮索の限りではないが、武見副会長以来、飲み場所も渋谷から築地へと飛躍し、カケ出しの役員達は恰も子供が新しい玩具でも貰つたような具合で、少々上ツ調子になつて居はせぬかと言う心配が諸所に起つている。」

ロ、昭和二十六年五月二十三日発行第二五三号一八頁編集余滴欄

「当日剤団からは高野、横井の両理事、歯界からは佐藤会長、然るに医界代表は駿河台に群がり集つて居る日医幹部ではなくて武見、榊原と言う臨時雇いの代表であつた。」

ハ、昭和二十六年七月十一日発行第二五九号一頁週間言の欄

「七月三日開会された都道府県医師会長会を開いて、愈々もつて日医現幹部の頼りなさを痛感せざるを得ない。実はわれわれとしても、幹部攻撃の文字を弄することには既に飽き々々して居るのであるが、報道機関としては事実は事実として伝えなければならない。その事実の一つ々々が乃ち批難、攻撃とならざるを得ないのを悲しむ。」

ニ、昭和二十六年十一月十四日発行第二七五号一八頁編集余滴欄

「先日無遠慮なのが日医事務局長の南崎さんに″事務局長室の札を武見事務所と書き換えたらどうかねえ″と言うと流石にいゝ顔はしなかつた。」

ホ、昭和二十七年二月十三日発行第二八五号一頁週間言の欄

「流会を思わせていた日本医師会の選挙代議員会は、文字通り抂りなりにも成立し、空気の抜けたゴムマリと言う程ではないにせよ″いづれ三月には本式に″と言う潜在意識から、まずまず平穏裡に田宮会長、榊原、武見両副会長のカムバツクを決定した。これが予測通りの顔ぶれだと言うことは、当世珍しく事大主義を痕して居る医界の空気の必然と言うことで、別言すれば理屈のない英雄待望論なのである。

尤も大勢が左様に落つく迄には高橋明会長説がかなり有力化しつつあつた。その所以は、田宮-武見のバツテリーでは如何にもアクが強すぎて不安だ。」

ヘ、昭和二十七年二月二十日発行第二八六号一八頁編集余滴欄

「いずれにしても今回の都医師会推薦は希望者(即役員病者)をそのまゝ取ついだ跡は掩い難い。もちろんその他にも本当に推薦した人物もあつたであらうが、これと相殺して責任なしと言う事にはならない。事情を知らない地方の人々は都医推薦の看板を買うことが多いからだ。」

ト、昭和二十七年三月五日発行第二八八号一頁週間言の欄

「田宮さんは平相国入道?日本医師会では結核病学会を除名するそうな、どこにそんな権限・規定があるのだろうか?噂にしてもひどいではないか、否々、田宮さんが諸所で言つているそうな、イヤ僕は田宮さん自身からそう聞いたぜ、等々、賑やかな噂が学界、医界に流布されて、はては″困つたものだ″と言う歎声が期せずして心ある人々の口から洩れる。二月半ばから三月へかけての話だが、既に東京ばかりでなく、大分遠隔の地方に迄浸淫した様子である。念のため日医の某要人に聞いて見ると″大分噂が高いので一度真否を確めようと思つて居る、事実とすれば御自重願はねばならぬ″云々と、閉口の体である。言い出したら後え引かない田宮さんの扱いは、外よりむしろ内輪で困る場合が多いらしい。

事の起りはやはりBCGにある。筆者思うに、昨秋突如学術会議第七部の一投石によつて生じた所謂BCG論争は、橋本前厚相が辞任のその日に裁定した所の結論で、落つく所へ落ついたのである。こだわつたり、深追いしたりして学界に不和を醸すのは宜しくない。既にして公衆衛生道に於ては出来ることも出来ないで居る事実がある。かようなわけで筆者つもBCGに触れることを殊更避けて居たのであるが、学術会議ではその後に妙な申入れを政府に対して行うし、昨今、前記のような勇ましい話が田宮さんを繞つて広く喧伝され出して、どうやら看過し難いのである。BCGが有効であつたと思われる例、副作用を生じたと思われる例、等々一連の実例調査を日医が個々会員に、日本医学会が各分科会に、夫々照会したのに対する回答が今春になつて数百通集つた。そこで、日本医学会ではこの回答を回付して各分科会の意見を徴した所、結核病学会よりは、

本会では昨年十一月二十四日の幹事会で協議した結果、本問題には容嘴しないのが適当であると言うことになつているので左様御了承相成りたい。

旨の回答があつた。批判を求められた資料をそのまゝ、即ち一顧もしないで前記の口条をつけて即日返還したと言うのに対して、会長田宮さんがカツとなつて怒り出したわけであろう。除名!左様な規定はもちろんない。普通考えられる処置でもない。こゝで筆者も亦「まさか」と言う言葉を使いたい。でないと医界のこと学界のこと、総て一存のまゝ、どんな横車でも押せる平相国入道の出現となつて田宮さんを甚しく傷けることになるからだ。

結核病学会は痛理、細菌から化学、内科、外科に到る綜合的な結核病研究の機関であつて、この学会に於けるBCG論は夙に決定的である。故にその立場に於て今次のデーターは検討の必要がないとしたのは、正に一個の見解である。これに対して感情的な言辞を弄し、万に一、除名云々などと口走つたとすれば、それは正気の沙汰ではない。まさか左様なことはあるまいと信じたい。

だが人の口には戸は立てられない。田宮さんは余事はとも角、赤門に関する限りに″君臨″とでも言いたい権勢を持つ。赤門の全学界に於ける地位は亦人の遍ねく識る所である。当今類い稀れな、封建の紛々たるものがあるが、事実は事実以外の何者でもない。メスメリズムの然らしむる所?田宮さんの後背に故長与さんの顔でも見えるらしく、今こゝで一々挙げつらいはせぬが、学界各般の面に於て田宮さんが実力者であることは疑う余地はない。その田宮さんが再び衆望を荷つて日本医師会長並に日本医学会々長に帰り咲くやいなや、自己が火元であつたBCG論争のむし返しを行わんとするものの如くである。凡そわれらには解し難い。然り而して″除名″云々の噂が忽ちにして流伝さるゝ培地について解し得るような気がしないでもない。」

チ、昭和二十七年六月十八日発行第三〇一号一頁週間無題の欄

「今次参院の減税運動は、謂わば瓢たんから駒の類いで、元を質せば自由党の選挙気構えの大盤振舞いによる。一旦衆院で決定したものを参院自由党ではどうとも出来ぬ。ソツト民主クラブ辺をついて″修正案を出して呉れ、衆院も賛成しとるヽヽヽ。″得たりと谷口さん、藤森さんらの活動となり、入場税以下の減税に便乗してマンマト成功した。と言うのが真相。いかに日医内の駄ボラ吹きでも、この辺をゴマ化して手柄顔は出来まいてヽヽヽ。」

リ、昭和二十七年六月二十五日発行第三〇二号一頁週間言の欄

「=日医幹部の作文癖=日医では、この程世界医師会及び自由諸国の医師会に宛て、左記要旨の文書を発し、その批判を求めたと言う。(中略)

吾等亦概ね異議はない。但し、日医幹部近来の傾向、事毎に″断定″をあえてする作文癖を全面的に支持すると言うのではない。(中略)。要は現実との調和策如何にある。何やらの一つ覚えに類する強がりや、理想一辺倒は小児病以外のものでない。」

ヌ、昭和二十七年七月二日発行第三〇三号一六頁

「会長欠員?=奇怪武見文書=読者二、三氏からの照会質問=巻頭の論評、無題の言は何時もながら明快、かつ示唆に富み、興趣津々、得る所が多いが、往々にして言辞簡に過ぎ意を酌み難いことがある。第三百一号同欄末尾に″日医事務局長記者団に対し″云々″日医は目下会長欠員なのではないか″云々、の如き殊に然り。他面その字句、事態も軽視しがたいと思う。詳しく事実を示し、解説せられたい…………。六月十一日、常例の記者団会見の席上、南崎事務局長が読みあげた文書は次の通りである。○南崎局長発表=武見副会長就任以来自由世界に属する国々の医師会及び社会保障機関との提繋の緊密化を企てて居つたが、今日既に効果を現しつつあるその一つには、日本のヘルスサービスと言うものが相当国際的に批判の対象となつて来て居ることである。(中略)。

本誌としては、それは国交恢復の今日当然な事務的事項に属し、抽象的な大言壮語に讃辞を呈する必要はないと考え、かつ会談席上の朗読であつたから、只冒頭の会長なきが如き傲慢非常識な態度を咎めるにとどめた(三〇一号巻頭)。然るに後この発表はプリントされて日医から地方に送られたことが判つた。誠に驚くべき自家宣伝である。

序であるが、最近日医常任理事の四名が事務局長席に集つて″デマ、誤報を訂す″と言う欄は一体誰人が書いているのか、あれは″日医の見解″という題にして貰いたい、と事務局長に申込んでいたそうである。伝聞のようであるが目撃者も傍聴者もある話である。日医誌の″デマ、誤報を訂す″は、余りに児戯に類し、お相手方を致し兼ねるが少くともその筆者は″意見の相違と言うことの分らない、世にも不思議な人間であることはたしかである。」

ル、昭和二十七年七月九日発行第三〇四号一八頁編集余滴の欄

「″武見副会長就任以来″云々と言う手前味噌の標本みたいな日医発表は、流石のんきな医界人士を驚倒させ、田宮-武見の組合せに対し″何をするかわからない、とに角あぶないね″と言うことに世論が一致しつゝある。常識の帰結と言うものは結局軌道を外づれるものではないが、斯界の損得はかゝつて時間関係であると言うのが、偽わらない現状であろう。所で、かねて土佐犬のようだと先師すら評したと言う田宮さんの一徹頑固は、反対や不評があればある程その度合を増し、人の注告など聞かばこそ。気に入らない人からの挨拶は街頭でも室内でもソツポを向く有様、正にヤンチヤ坊主そのもの。されば武見副会長から正式にシヤツポ扱いにされた昨今反動性は愈々強く、先夜もある外交関係の宴席で午前四時に至るまで飲みかつ踊りつゝ、その間繰返して、医師会即ち政治力でなくてはいかん、特別所得税、医療法人事業税を合せて年間五億の減税に成功したのも政治力による。そこで五億の一割乃至二割を集めて来るべき総選挙には都道府県から一名宛の候補を立てる″とすごい宣伝ぶりだつたそうだ。今次の減税運動については東京都医師会も大いに自負する所があるようだから、田宮さんまでが余り大ボラを吹くと平地に波らん以上のものが出そうだ。」

ヲ、昭和二十七年七月二十三日発行第三〇六号一頁週間言の欄

「会議席上、東京の消極的態度に対して、奈良その他から″政治運動は地元の東京が音頭をとつてくれないではどうにもならぬ″旨の発言があり、衆意亦こゝにあつたが、東京としては勤務会員や浮動常ならぬ概数にかけ算した額を背負込むことはどうしても出来ないと予め方針をきめていたようである。が、更に底を割れば、日医の中枢武見-田宮ラインの軌道を外づし勝ちな行動に対して、漸く批判を加うの已むない時間関係となつたまでであろう。」

ワ、昭和二十七年八月六日発行第三〇七号一頁週間言の欄

「日本医師会の品位のために」と題し(中略)。「実に、ローマは一日にして成つたものでないと同様、日医今日の地歩は先人数十年の精進の結晶であることを泌み々々思う時、現下の幹部、その中の一、二の者の無軌道ぶりは、なんとしても深慮に堪えない。筆者は架空な話や、為めにする言論を行うものでないことは、本欄乃至第三者としての報道で責任を瞭かにして居り、この立場から去る五月(第二九七号)において″日医誌″の″デマ、誤報を訂す″欄が如何に馬鹿々々しい、そして思い上りの標本であるかを指摘し、反省を求めた。その要旨は見解の相違と言うことを弁えない増長慢を戒めたものであつた。が、その増長慢は順次悪化の一途を辿るのみで″日医誌″八月一日号に見るそれの如きは、精神衛生上の注意を要しはせぬかと思はせる程だ。

世の常識として、況んや医師の品位として、人との論議において″パンパン″とか″コンマ以下″とか言うような言葉を使つてよいものだろうか、これを活字に托して恥しくないのだろうか?昔″車夫、馬丁″と言う言葉があつた、近頃は″アロハのアンチヤン″と言う称が行われて居る堂々たる日医、そこの幹部がそれらのクラスに伍して得々たる様子だ。医道に照し暗然たらざる者が何人あろう?」

カ、昭和二十七年九月三日発行第三一一号一八頁編集余滴欄

「九州地区の医師会連合会で発言したことを、佐賀県医師会長が文書で公表している。これを引用したのに対して″日医誌″又々デマの誤報だのと書き立てゝいる。ウヌボレと言うか、ドグマと言うか、到底常識では判らん頭だ。郡医師会役員十余人、記者三、四名が会合して居る席え現われた蓮田日医常任理事、一齊に″デマ誤報を訂す″欄の記事を嘲われたのに答えて曰く″全く誰がどうしてアンナ記事が日医誌に出るのかわからん、只の一度も相談を受けたことはないし、理事会の議題になつたこともない″と弁解。この次第は只一人蓮田理事だけでなく、日医理事会に列席する程の人が異口同音に語る所だから、凡そ間違いはあるまい。″日医誌″と言う公器が一、二の者の玩具になつているのである。

ヨ、昭和二十七年九月十日発行第三一二号一頁週間言の欄

″中山さんをめぐつて″と題し(中略)。「この際呉々も考えておかねばならぬことは、医家出身の一大臣が出来たことぐらいで、医界の懸案がどうなるものでもないし、下手をすると副作用-逆効果の方がより大きくならぬものでもない。一部駿河台人のフアツシヨ化を眼のあたりに見ているので、このこと必ずしも杞憂とは言い切れないのである。」

タ、昭和二十七年九月十七日発行第三一三号一頁週間無題の欄

「大所高所に立つ筈の者が、わけの分らぬ私情、私憤を述べ立てる図は、全く見ても、聞いてもいられない。女の腐つた、と言う形容詞は当今の辞書にはない筈。だが、綿々つきない六十男の私憤なぞ犬も喰うまい。漸くにして天下の良識が動き始めたのは、まことに事の自然なるのみ。放置すると医界は二分、三分されるかも知れぬ。まとめるためには理論遊戯はいらぬ。いらぬどころか有害だ。革命を言う者あらば、まづその身の上を洗つて見よ。信念情操気魄は如何?人格英邁?操行雄風?そこには自分免許の注射薬などとは凡そ対しよ的な要素がなくつてはならぬ筈。嘘つきが革命家となつたためしなし。」

レ、昭和二十七年十二月十七日発行第三二五号一頁週間言の欄

「凡そ公人として天下の広居に立つ者であつて、意見の相違と言うことを解せず、又批評に聞くことをなさず、野郎自大、却て人に対して罵しざん謗、事実を歪曲して憚りないとしたならば、その成り行きはどうであろうか?。団体運動に於ては強硬論一応効を収める、大向をうならせるハツタリの類いである。日医を形成する論者に対して重ねて、″あなた任せ″の宿弊の反省を望みたい。」

ソ、昭和二十八年一月二十八日発行第三二八号一七頁

″自力で出来ず米医師会の機関に依托″なる標題で、「日医では昨年十一月、旅行の途次来日したバー米国医師会長と懇談の際、同国医師会の重要機関である薬品化学審議会の利用方を希望したが、この程バー会長より今年初の理事会で正式承認となつた旨通知があつた。よつて日医では今後直接同審議会と交渉をもち、我国の新薬の効力検定を同会に依頼することが出来ることになつた。米医師会の医薬品検定業務は優秀な施設を持ち、頗る権威のあるものとして著聞している。検定の結果は総て医師会誌に掲載され、全会員に周知される。従つて反面不利な判定を受けた製薬会社との間に争いが屡々あり、訴訟沙汰に及んだことも一再ならずあつたが過去に於て医師会は只一回敗訴したのみであるとのことである。日医では先年来、藤沢薬品製の一剤につき検定を行うべく、多数委員を委嘱し、これに相当の経費を投じたが、未だに結論を出し得ないままとなつており、この業務の必要性は痛感しているが、結局実行不可能と自から決定したものであろう。」

ツ、昭和二十八年二月四日発行第三二九号一八頁編集日誌抄の欄

「一月二十六日、高木喜寛さんの葬式はけだし近頃の盛儀、慈大七十余年の歴史の中に四十年はタツプリ生きていた喜寛さんのことであるから当然であろう、焼香の列が中々進まない、記者と前後して居るさきの日医会長高橋明さん″これもよろしいな、色々と珍しい顔に会える″と。然り、昨年同じ青松寺で慈大元教授綿引朝光さんの告別式が行われた時は、綿引さんが久しい世外人だつたためか参会者はチラホラ、待列して居る人々に睨みつけられるような気がしたことだつた。東大の衛生看護学科にケチをつけたり保険医団体を異端者ときめつけたり駿河台の独裁者は愈々無軌道ぶりを発揮する、問題化することであろう。」

ネ、昭和二十八年二月十八日発行第三三一号一頁

-謹告と題し、「第三二八号ワツクスマン教授述「微生物学に於ける概念」の変遷」は、客年十二月廿日、北里博士生誕百年記念会主催の公開講演の要旨であります。申す迄もなく公開講演の趣向は、より周ねく人々に知らしむるにありまして、記念会幹部高野阿部両氏がこれを明言されています。偶々、週間誌である本誌にまず紹介され″日医誌″はこれに遅くれたためでありましようか、同誌二月一日号に一枚の印刷物を貼付し、それに本誌並に本誌責任者塩沢の名を明記して様々の悪罵を行つていますが、それは日医の独裁者副会長武見君のあらわな感情以外のものではありません。而してその用辞、表現を通して露呈した思惟、情感の低劣、下賤さは一読目を掩わしむる底のものでありまして、日本医師会の名誉と品位のため惜しんでも余りある次第であります。当然黙殺すべきでありますが、″日医誌″と言う公器による所為でありますから、一応誌友各位に謹告致します。」

ナ、昭和二十八年二月二十五日発行第三三二号一頁週間言の欄

″医政運動の危機″と題し(中略)。「敢て言えば、今日医政運動に危機を招来しつゝある所以の中で最も大きなものは、武見君の異常な自信力と権勢慾が則ち是れであろう。彼は自己の見る所、信ずる所が絶対であつてこのため総てのものは彼の指揮命令に属さなければならぬ、アゴで使われるものでなくてはならぬのである。保険医界や病院団体に対する声明などに見る所、比々然らざるはない。彼は独裁者と言われることをカモフラージするため、近時″理事会に諮り、その決定による″と称し始めたが、その理事会で彼の発議、裁断を修正乃至否定したる事例ありや。なしや。員に連なる理事諸君が、最もよくこれを知る筈である。もとより会長はシヤツポに過ぎない。昨春彼は就任早々よりわれ等報道、言論機関に対して″デマ、誤報を訂す″と言う喧嘩を売り来たつて前後十数回に及んだことは既に天下公知の所である。日医誌によつて為す所であるからわれら已むなく二、三応酬したが、要之、意見の相違と言うことを彼は知らないのであつて、自己の意に添わぬ言議は総てデマ、誤報とするのだから馬鹿々々しい限りである。しかも彼は誤つた事実を前提として人を誣い、所謂車夫馬丁の言辞、形容を以てして恥づかしくないと言う神経なのである。われ等は日本医師会の名誉と信用と、而して品位のため、再度田宮会長に事実を提示して責任を明かにするよう要求したが、彼亦恬としてついに応じないまゝで今日に及んでいる。かような思想傾向と言うか、精神状態と言うかがついに発展して、保険医会を斬つて棄て、病院団体の運動には個人の氏名まであげて批難を加えるに到つた。されば医界内部に批判と自衛運動を生じたのは洵に自然の数である。がさて、かくては外侮を如何にするか?医界百年のためわれらは深憂にたえぬ。」

ラ、昭和二十八年二月二十五日発行第三三二号一八頁編集日誌抄の欄

「日医当事者這回の思惟、言動は悉く常軌の逆を行くものである。昨春来自己の意見、希望に反するものを総て「デマ、誤報」と称して、報道機関に喧嘩を売つて来た日医当事者即ち副会長武見君の増長慢と奇矯な言辞は周ねく人の知る所であつて個人武見ならもちろんわれわれも相手は御免蒙る。然し明かに公人、公器をもつてする挑戦であるから一応答えざるを得ない。実は余りの馬鹿々々しさに黙殺する積りでいたのだが、誌友諸君から激励やら、心配されての質問やらがあるので、如上ありの儘を記してお答えとする。」

ム、昭和二十八年三月十八日発行第三三五号一頁週間言の欄

″ウソにも程がある″と題し「右様の経緯を本誌は第三二八号、一月二十八日附、紙上において、……日医では先年来藤沢薬品製の一剤につき検定を行うべく多数委員を委嘱し、……云々と報じたが、これを採り上げて″日医誌″二月十五日号は、例のデマ、誤報を訂す欄で、右記事は……全く事実無根の捏造記事であつて、日医は曾て一メーカーの製品を検討する等の計画をした事はない……と断言し、記載して居る。″日医誌″は日医の公報機関であることは言う迄もない。而してその為す所言う所正にこの如くであつて、平然白を黒とするの様は、往昔の大本営というも及ばない亡状である。われらは故なく、或は根拠なく物を言つて居るのではない。日医誌同号同欄においては、暗愚な老婆のグチの如く累ねてワ教授の講演要旨に関して、本誌を如何にして傷けんかと罵言を並べ立てているが、これについては既に事実ありのまゝを記して、日医の関する所でないことを瞭かにしてあるから繰り返さない。右新薬検定問題に関する本誌記事の標題が″自力で出来ず米医師会の機関に依托″とあるを捉えて″対外親善道義に悖る″云々と例によつて例の如く下劣な言辞を連ねているが、これは既にして救いようのないナンセンスだ。自力で出来れば他人様を頼むことはあるまい。事態の本質は日医が日本医学を侮辱したことにあるのであつて、米国の関する所でないのは事理明白ではないか。傲慢と稚拙とは屡々共棲表裏する。鬼面人を脅びやかしたつもりで、実は正の嚆笑を買うだけである。日医の一、二中枢者は、かくして日医の威信を事毎に、亦日々に毀ちつつある。言う迄もなく、日医の成る一日ではない。あまた先人が明識と謙虚をもつて奉公の大義に徹し、又和衷協同の実あつて結束の成果を齎したのである。然るに即今、独善、独断已れの好む所以外に議なく、夜郎自大、医界の内部を自から撹乱し、もつて得々たるような幹部の行蔵を見るのは、日医百年のためまことに深憂にたえぬのである。国家の外に社会を発見したと言う言葉は既に々々歴史物語りである現時において、医政運動が医師のためにのみあるような錯覚をわざと煽おる者はないか。日本医師会は今や深刻な危機に立つている。」

ウ、昭和二十八年三月二十五日発行第三三六号一頁週間言の欄

″一億三千万を専制者に一任″=奇態な意思決定=と題し、「代議員会は定款や会則の論議に俟つまでもなく、日本医師会の意思決定機関であるが、這次のそれを見ると、只々理事者-執行機関の余りにも抽象的な意見や希望を聞いたにとゞまり、結果として、一億三千余万の巨費を、挙げて専制者の独善、独断に委ねたに終つている。まことに驚嘆すべき、また奇態な現象だ。日医の専判者がどの程度のウソつきであるかは、前号本欄において、一点議論の余地もない事実を示し指摘した所で分明であろう。白を黒と言い切る程の性格者は、ウソになる以前の言議において、どのくらいホラを吹くか知れたものでない。這次代議員会の事業計画が正にそれであつて、難解、珍奇な用辞を煙幕としてマクシ立てているが、どこまで行つても希望はついに希望にすぎない。而してこのドギついハツタリにかかつて、黙々としていた代議員は、審議権を放棄したものと言われてもし方ないようだ。事業計画はそれとして、予算を一瞥すると、前年度との対照もなく、款項目も諸所移動や新設があつて、六〇%という大増額の印象を如何にしてカモフラージしようかという作為の跡が歴然だ。調査対策、渉外、外交等々大ボラに相応わしい数字が並んでいるが、使途の抽象的であることは、正に一連の思想体系とよりほかに批評のしようもない。中で、会誌発行四千五百余万を大宗とする印刷、出版の経費を合算すると大約六千万にも達し、総予算のほぼ半分を占めているのが眼をひく。日医の会費は、会誌を会員に配付するために、すなわち随意購読であつたものを会費の名において謂わば強制購読の制とした為に異常に多額なものとなつて三年になるが、今次A会員の会費を一千二百円から一躍二千円と大幅増額せざるを得ない理由の大きなものもこの辺にあるのである。日医程の組織体においてはもとより会誌乃至会報があつて然るべきであるが、要は程度の問題であろう。本を読めば為めになるまことに判り切つた話だが、本や雑誌は面白く読めるように作つてないと人は読んで呉れぬ。Y本の類いなどは一行の広告をしないでも売れるのであるが、会報、公報と言うものはそれに本質的な性格がある。と言うよりはむしろ宿命のもとに生れるものなのであつて、如何に工夫しても読者が飛びつくようなものは出来ない。読書慾からは修身倫理の教科書につぐものが官報、公報、会誌等々で、在るべきもの、在つて然るべきものではあるが、要するに売れない。そこで簡単に思いつくのが強制とか天降りとか言う方法で、当事者は為めになることと自負したり自慰したりして、敢えて行つているが、かような出版物を受取つた者は、大方これを積み累ねて置くのが常である。日医誌が凡そどの程度に、開封され、読まれているかは尨大な広告費を出している広告主、その大部分を占める薬品のメーカーが実地について詳知しているのをわれらも伝聞している。薬品メーカーは商売上、日医と言う組織体に対する冥加金のつもりで所謂おつきあいを余儀なくしている様子であるが、今次の予算面には亦々この広告料の増収を大幅に見込んでいるから悶着が起るであろう。かれこれ、日医の会誌は余りにも多くの会費をこれに費いやしているに拘わらず、その読まれ方は頗る少い。深刻な検討を要するものと言つてよい。但しホラにせよ、ウソにせよ、代議員会は理事者の言う所を聞き、その案に賛成し議決した手続は明白であり、合法であることはいう迄もない。理事者はその性癖、嗜好を欲しいままに発揮してふる舞うであろうことも必定である。保険医団体等に見らるる末端会員の切実な叫びと対照しつつ、その行蔵を厳重監視することが肝要だ。」

ヰ、昭和二十八年六月十日発行第三四六号一頁週間言の欄

″一円五十銭程度で馴れ合い芝居か?″と題し、「かれこれ、如何に独善、傲岸者流と雖も日医幹部はその立場上、漸く単価問題の放置なりがたい情勢を感得した様子だから政府の意向と妥協し現行に対して約一割増し、大約一円五十銭増というような一幕が近く現出するのではないか。根本的な解決は審議会という辞柄があり、他面従前からの今井式計算方式では三十銭、五十銭の域を出ないものが一躍一円七十銭であるという見栄も心臓次第では切れるものである。一円五十銭の増額は潤うに足らぬとは言えなかろうが前記三〇%の崩潰を防ぎ得ないとしたら、それはもとより物の数ではない。好んで理論的な大風呂敷を拡げる日医当局が一時の妥協をあえてするか、否か。これは一寸した観ものである。嘘を警戒して見物しよう。」

ノ、昭和二十八年八月十二日発行第三五四号一頁週間言の欄

〃単価は臨医保診へ舞い戻り〃=当然且奇怪な成行=と題し、「現に入院点数の問題は、改めて病院関係者のみによつて解決するほかなしとされて運動が進められて居るが、この運動は中頃一度は日医と協力体勢にあつたものが、亦々離れたのである。日医中枢が医業の実際から浮遊して居る一証左でもあるが、第一線の所謂零細開業医の苦衷に到つては、おそらく日医中枢の与かり知らぬところであるらしい。而して、現日医中枢は超保守政党に身も魂も打ち込み、旧式政治技術をまねて得々としているが、これらの利害乃至反動はさてどういうことになるであろう?併せ考うべき医界の重大事である。」

オ、昭和二十八年八月二十六日発行第三五六号一頁週間無題の欄

「日医のワンマン、徳というものさらになく、為す所悉く敵を作るに終るようだ。内輪の中の内輪なるべきが、右の通り。」

ク、昭和二十八年九月二十三日発行第三五九号一頁週間無題の欄

「武見新興宗教は御利益よりさきに正体暴露がオチであろう。人間には常識、常道がまず必要である。」

ヤ、昭和二十八年九月三十日発行第三六〇号一頁週間言の欄

「さて日医は大上段にふりかぶつた大太刀に自分自身の動きがとれなくなつた形であり、新興宗教まがいの美辞や大ボラにヤンヤの喝釆を送つた大向うもどうやらそれ以上には進まない演技の正体を見破りつつある。現実には腹がへつてもひもじうない、というわけにゆかないと言う簡単な話であるに過ぎない。」

マ、昭和二十八年十一月四日発行第三六五号一頁週間言の欄

「小誌は去る十月十三日附、日本医師会田宮、武見副会長、三田常任理事、杉日医雑誌編集委員長、南崎同編集発行人の五君に対して″謝罪広告請求″の民事訴訟を東京地方裁判所に提起した。何卒本号(十四頁以降)に掲げた″訴状″を一通りご覧願いたい。通覧されるならば、読者各位は決して目新しい内容でないことに気づくであろう。すなわち昨年の五月以来、日医雑誌″デマ、誤報を訂す″欄が現われてから、そこにおいて彼等は小誌に対して飽くなき悪口雑言を浴びせかけて来た。小誌が所謂業界誌の域を出でゝ、常に第三者の立場において厳正公平な立言を行うことが、傲岸、独善な彼等の癪にさわるのである。こゝで特に断つておきたいことは、彼等五名となつて居るが、実体は副会長武見君が大部分を占め、頭にはあらでシヤツポとなつている田宮会長に当然責任を生じ、副会長の頤使の下にあるほか三君を列記することも、日医の組織、規定上必要となつているのである。」

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